FPVの未来とスケートボードの歴史

 40周年ということは、1985年からプロ。アメリカで1970年代にカリフォルニアに生まれた現代スケートボードのムーブメントの影響を受けた第一世代です。

 Aki Akiyamaという名前は、昔スポーツノートというアメリカンスポーツの雑誌で始めてみました。紙媒体の時代だったので、映像はなく、お手本もイラストと文章だけという時代でした。

 

 当時私は中学1年生でした。 それから中学を卒業するまで、ローラースケート、スケートボードを買い、大阪の服部緑地公園で毎週スケートボードを仲間と5人ぐらいで練習していたものです。

 その秋山氏が今、再びスケートボードをしている映像を見て、新しい文化をつくり、それを続けることの素晴らしさを再確認しています。

 

 

 

 

アメリカのスケートボードのレジェンドで第一世代のスターのキャバレロ氏。2014年にプロ50周年だったので、確実に60歳は超えているはずです。

 

 今の大勢の若者のファンたちが見守る中、当時のスタイルのスケートボードを披露しています。アメリカのエンターテイメントの文化の偉大さが本当にうらやましいです。

 

 私は、2018年になって初めて、同氏の名前を知り、しかも当時の10代の若者として新しいスケートボードのスタイルをつくった人でした。私がやっていた当時は、ビデオすらない時代だったので、あのころ彼から刺激を受けていたら、もっとスケートボードがもっと楽しめただろうなと思います。

 

 な

 

 

2014年、東京に来日、キャバレロ氏

1970年代にカルフォルニアの豪邸に必ずあったプール。水を抜いたプールに忍び込んで少年たちがスケートボードを始めたのがキャバレロ氏の時代でした。

当時、サーフィンのビッグウェーブの感覚は、このプールで再現して楽しんでいたんです。

 

今は、自治体がスケートボード専用にプールを設定して利用できる時代なんですね。

うらやましい。

 


第一世代のレーシングドローン文化

 ドローンは、やっている人が少なく、上級レベルと世別人も、公式レースでも上位10日程度しかいません。

 攻めた飛びをしている人は、その中でも5人いるか、いないか。

 決勝レースでも、墜落が多く、ゆっくり飛ばしても優勝などでは、面白くありません。

 

 レベルの低さと、ファン層の薄さが非常に残念です。

 これが日本のドローンレースの現状だと感じます。

 

 時々、テレビで取り上げられても、日本のトップレベルとはいえ、あまり魅力的に見えないことがあるのは非常に残念です。

 

 上級レベルの操縦テクニックを練習するために、低レベルの上級者のやっていることを参考にしないほうが良いです。

 日本のトップクラスでも、アメリカやオーストラリアなら、町の上手なパイロット程度の実力しかありません。

 

 

 

 


まだ世界で誰も、10000時間の飛行時間をクリアしていない

  「10000時間ルール」というのがありますが、レーシングドローンの世界で世界のトップレベルの人たちでも、1万時間に到達した人はまだいないでしょう。まだ、レーシングドローンが普及して5年程度です。

 10年やっても、まだまだ成長できる世界があります。

 

 


スケートボードの歴史と比べると

【スケートボードの歴史から】

 スケートボードは、現在のタイヤ(ウイール)がウレタン製となって、現代の機能性能が誕生しました。それが1970年代です。

 1980年代に一番最初のスタイル(丘サーフィン的な世界)を作ったライダーたちが、ボールパーク、ハーフパイプでエアリアル(空中技、縦方向の動き)のスタイルを確立しました。当時の若者はいま60歳代でまだ健在です。

 

 

 


東京オリンピックにスケートボードが採用

 

東京オリンピックでスケートボードが競技種目として採用されるようです。「ストリート」競技と「パーク」競技

 選手候補などのニュース記事

 

 しかし、それを経てストリートスタイルのスケートボードが着実に新しい世界を作り上げてきたことが、今振り返れば、よくわかります。

 今、オリンピックに候補としてでてきた選手たちは世界の大会イベントでもベスト10に入りますが、ほとんどが親が幼稚園ぐらいから英才教育してきた選手です。

 それらの選手たちの親たちは1990年頃の成熟停滞期にスケートボードをやっていた世代です。

 第一世代ではなく、第2世代です。

 人間の一世代は30年です。

 

 ドローンはまだ日本ではせいぜい3年。操縦レベルも楽しみ方の文化もこれから作っていく段階です。

 

 そういう意味では、着実に発展させていきたいです。第一世代には想像ずらできない『無限の可能性』を。

 

 

 

 

 現在、公園で見かけるストリート系スケートボードは2000年頃にデザイン、ストリートのオブジェクトを使ったオーリーをベースにしたトリックが確立しました。もうすでに、20年が経過するところです。

 

 

  

 ドローンはスケートボードで言えば、1980年代の初頭レベルで、一通りの基本テクニックと個性あるパイロットたちの編み出した技が広く一般パイロットに広まった段階です。

 

 スケートボードは1990年から2000年にかけては、最初の世代がピークアウトし停滞していったようにおもいます。

 

 これは第一世代が20年間ぐらいで消えていった時間の流れです。学生が社会人になってやらなくなったとも言えます。

 

 1980年台にカルフォルニアの文化としてブームとなったあと、スケートボードは日本でも一時的には広まりましたがカルチャーとしてはいったん途絶えました。

 

 日本のスケボー文化創世記に活躍していたひと「秋山氏」が、今も、Youtubeに映像を披露していたのですが、びっくりです。

 

 

 


東京に来日、キャバレロ氏

ここ数年、東京ではスケートボードブームが来ており、オリンピックに向けて公共のスケートボードパークもたくさん存在しています。

 

 あの土地の狭くて高い東京エリアに、無料のスケートボードバークが、テニスコートのように存在しています。テニスは、現在の天皇陛下が若いときにやっていたので、市民権を得て、公園にはテニスコートが作られてきました。

 スケートボードは、ずっとアンダーグラウンドで、根絶やしにされそうになっていた。そんなスケートボードに、パークを行政が作る時代が来ていたんですね。

 

 やる気を失い疲弊した日本人、失われた90年代の若者たちのエネルギーを注入する策として良い子ことだと思います。

 東京では、下は小学生から、上はスケートボードは、30代のおっさんおも魅了しているようです。

 

 阪神間でも、いくつかの有料パークはできているようです。西宮市には無料のパークが存在していることを、先日確認してきました。※2018年8月